オグリキャップ
| 日付 | 開催 | レース名 | G | 距離 | 着順 | 騎手 | link |
| 1987/05/19 | 笠松 | 3歳新馬 | – | ダ800 | 2 | 青木 | |
| 1987/06/02 | 笠松 | 3歳 | – | ダ800 | 1 | 加藤 | |
| 1987/06/15 | 笠松 | 3歳 | – | ダ800 | 1 | 青木 | |
| 1987/07/26 | 笠松 | 3歳 | – | ダ800 | 2 | 加藤 | |
| 1987/08/12 | 笠松 | 3歳 | – | ダ800 | 1 | 加藤 | |
| 1987/08/30 | 笠松 | 秋風ジュニア | – | ダ1400 | 1 | 安藤勝 | 1 |
| 1987/10/04 | 笠松 | ジュニアクラウン | 重賞 | ダ1400 | 1 | 安藤勝 | 1 |
| 1987/10/14 | 中京(地) | 中京盃 | 重賞 | 芝1200 | 1 | 安藤勝 | 1 |
| 1987/11/04 | 笠松 | 中日スポーツ杯 | – | ダ1400 | 1 | 安藤勝 | 1 |
| 1987/12/07 | 笠松 | 師走特別 | – | ダ1600 | 1 | 安藤勝 | 1 |
| 1987/12/29 | 笠松 | ジュニアGP | 重賞 | ダ1600 | 1 | 安藤勝 | 1 |
| 1988/01/10 | 笠松 | ゴールドジュニア | – | ダ1600 | 1 | 安藤勝 | 1 |
| 1988/03/06 | 阪神 | ペガサスS | Ⅲ | 芝1600 | 1 | 河内 | JRA |
| 1988/03/27 | 阪神 | 毎日杯 | Ⅲ | 芝2000 | 1 | 河内 | JRA |
| 1988/05/08 | 京都 | 京都4歳特別 | Ⅲ | 芝2000 | 1 | 南井 | JRA |
| 1988/06/05 | 東京 | NZT4歳S | Ⅱ | 芝1600 | 1 | 河内 | JRA |
| 1988/07/10 | 中京 | 高松宮杯 | Ⅱ | 芝2000 | 1 | 河内 | JRA |
| 1988/10/09 | 東京 | 毎日王冠 | Ⅱ | 芝1800 | 1 | 河内 | JRA |
| 1988/10/30 | 東京 | 天皇賞(秋) | Ⅰ | 芝2000 | 2 | 河内 | JRA |
| 1988/11/27 | 東京 | ジャパンカップ | Ⅰ | 芝2400 | 3 | 河内 | JRA |
| 1988/12/25 | 中山 | 有馬記念 | Ⅰ | 芝2500 | 1 | 岡部 | JRA 関テレ |
| 1989/09/17 | 中山 | オールカマー | Ⅲ | 芝2200 | 1 | 南井 | JRA |
| 1989/10/08 | 東京 | 毎日王冠 | Ⅱ | 芝1800 | 1 | 南井 | JRA |
| 1989/10/29 | 東京 | 天皇賞(秋) | Ⅰ | 芝2000 | 2 | 南井 | JRA |
| 1989/11/19 | 京都 | マイルCS | Ⅰ | 芝1600 | 1 | 南井 | JRA 関テレ |
| 1989/11/26 | 東京 | ジャパンカップ | Ⅰ | 芝2400 | 2 | 南井 | JRA |
| 1989/12/24 | 中山 | 有馬記念 | Ⅰ | 芝2500 | 5 | 南井 | JRA 関テレ |
| 1990/05/13 | 東京 | 安田記念 | Ⅰ | 芝1600 | 1 | 武豊 | JRA |
| 1990/06/10 | 阪神 | 宝塚記念 | Ⅰ | 芝2200 | 2 | 岡 | JRA |
| 1990/10/28 | 東京 | 天皇賞(秋) | Ⅰ | 芝2000 | 6 | 増沢 | JRA |
| 1990/11/25 | 東京 | ジャパンカップ | Ⅰ | 芝2400 | 11 | 増沢 | JRA |
| 1990/12/23 | 中山 | 有馬記念 | Ⅰ | 芝2500 | 1 | 武豊 | JRA 関テレ |
オグリキャップ(欧字名:Oguri Cap、1985年3月27日-2010年7月3日)は、日本のサラブレッド競走馬・種牡馬である。笠松競馬場でのデビュー後、地方8連勝(重賞5勝)を含む10戦10勝の成績を残し、1988年1月に中央競馬へ移籍した。中央では栗東・瀬戸口勉厩舎に所属し、GI競走4勝を含む重賞12勝を挙げた。通算成績は地方・中央合わせて32戦22勝であり、そのうちGIは有馬記念2回(1988・1990年)、マイルチャンピオンシップ(1989年)、安田記念(1990年)である。
父は笠松競馬で優れた種牡馬成績を残したダンシングキャップ、母は地方競馬で活躍したホワイトナルビーという血統を受け継いだ。出生時には右前脚の外向が見られたが、美山育成牧場や稲葉牧場での丁寧な矯正と調教を経て改善し、短期間で優れた瞬発力を身につけた。笠松時代には幼名「ハツラツ」と呼ばれ、鷲見昌勇調教師のもとダート800m戦を中心に実戦を重ね、2度の敗戦を経た後は毎回大差で勝利を重ねていった。
中央移籍後はペガサスステークスで鮮烈な勝利を収め、続く毎日杯、京都4歳特別、ニュージーランドトロフィー4歳ステークスでも連勝し、重賞4連勝を達成した。クラシック登録がなかったため皐月賞・日本ダービーには出走できなかったが、NZトロフィーでレコードタイムを記録した。1988年有馬記念はファン投票1位の支持を受けたものの2番人気での出走となり、直線でタマモクロスをクビ差しのいでGI初制覇を遂げた。この勝利は“地方出身馬”が頂点に立つ劇的なドラマとして語り継がれている。
1989年は春に故障で休養を余儀なくされたものの、オールカマーで復帰後に毎日王冠連覇を達成し、その後マイルチャンピオンシップで鋭い末脚を繰り出してGI2勝目を挙げた。有馬記念では脚部不安が影響して5着に敗れたものの、JRA賞特別賞を受賞し、「平成三強」の一角として競馬界を席巻した。
1990年は安田記念でコースレコード勝ちを収め、国内最高賞金を更新した後に脚部不安が相次ぎ成績は低迷したが、年末の有馬記念で再び優勝し、感動的なラストランを演じた。引退後は北海道・新冠町の優駿スタリオンステーションで種牡馬となったが、産駒に重賞勝ち馬は現れず2007年に種牡馬を引退。その後は功労馬として繋養され、多くのファンが訪れる存在となった。芦毛の馬体から「芦毛の怪物」「平成の怪物」と称され、笠松・中央両時代を通じて日本競馬史に燦然と輝く伝説的存在である。
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